コミケを風疹から守り隊

2014年7月2日水曜日

東京都議会での差別野次について~真に冷静な一般論~

初回公開日:2014年07月02日
最終更新日:2014年07月02日


1.はじめに(事実関係と論点整理)

既に多数の報道がありますが、2014年6月18日の東京都議会本会議で、塩村文夏(あやか)議員(みんなの党)が、晩婚化・少子化について質問している最中に、女性蔑視の野次が飛びました。野次は複数あったとされており、6月23日に鈴木章浩議員(自民党)が野次発言を認め本人に謝罪し、その他の野次についても徐々に明らかになってきています。しかし本記事公開の時点では、未だ全貌は明らかになっていないと感じます。また鈴木氏の謝罪会見に対しても「何が問題だったのか解ってない」との批判があります。
発言者(の少なくとも一部)が特定された事は大きな前進だと思いますが、もしもこれで幕引きになってしまう様では、むしろ本質的な解決からは遠ざかってしまうだろうと危惧します。何故その様に考えるかは、本記事をお読み頂ければ解るかと思います。

この問題には幾つもの要素が重なっていて見掛けよりも複雑なので、ちょっと整理してみます。大きく分けると
1)今回の野次は何処がどの様に酷いのか
2)野次が飛んだ背景にあるもの
3)今後どう対処していくべきか
の3つだと考えます。これは言い換えれば現在・過去・未来の話でもあります。
以下、この3つに関してそれぞれ述べていきます。

2.野次のどこがどう酷かったのか

今回の野次の酷さはまず、単にセクハラであるばかりでなく差別発言だという点にあります。セクハラや差別が悪い事だというのは皆さん重々御承知だとは思いますが、こうして議会で口にされている以上、改めて「差別とは何か」「どうして差別がいけないのか」という点を考えてみたいと思います。
まず、あくまで私見ではありますが「差別」のなるべく簡便な定義を試みます。私は「差別とは、本人の努力では容易に変え難い属性に基づいて不利益を与える事」だと考えます。即ち、性別・人種・宗教などによって不利益を受ければ、それは差別です。また性的マイノリティ、LGBTと呼ばれる人達についても同様です。もしも貴方がヘテロセクシュアルな人で「そういった性的嗜好は努力で克服出来る筈」とお考えなのであれば、逆に「同性を恋愛対象として見られる様に努力しなさい」と言われて「はい、解りました」と直ちに出来るかどうか考えてみれば良いのです。努力で容易に克服出来るものなのかどうか(もしも、簡単に同性「も」恋愛対象として見られるのであれば、それはバイセクシュアルって事ですから、貴方も立派な「性的マイノリティ」ですね)。
もっと言えば、いわゆる「オタク差別」も立派な差別です。オタクが差別されるとすれば、その理由はまさしく「オタク的なものを好むから」ですよね。でも「○○が好き」という気持ちは、努力で簡単に捨てられるものではない筈です。もしも「ちょっと努力しただけで好きじゃなくなれる」のであれば、それは「本気で好きじゃなかった」って事になりませんか?という訳で私は、オタク趣味もまた「本人の努力では容易に変え難い属性である」と考えています。そして勿論これは、オタクのみならず、様々な人々がそれぞれ真剣に向き合っておられる趣味・嗜好の全般に共通して言える事なのです。
言い換えれば、差別とは「価値観を強制した結果」と表現しても良いでしょう。そもそも価値観とは個々人の数だけ存在する極めて多様なものである筈ですが、そうした多様性を認めず単一の価値観を強制する様になると、差別が発生します。
鈴木議員の謝罪会見での「結婚したくても出来ない女性への配慮が欠けていた」という発言が批判を受けているのは、それが「結婚したくない女性」の存在を無視しているからであり、言い換えれば「(我々が配慮の対象にする様な)女性は、おしなべて結婚したいと思っている筈だ」という「価値観の押しつけ」に極めて近い考え方だからです。鈴木議員(に代表される様な頭の固い議員)が「結婚したくない女性」の存在をキチンと認識出来ていれば、もしかしたら「結婚したくない女性が増えているのは社会構造の変化に起因するものかもしれない。もしもそうであるならば、社会の方を変えれば結婚したい女性を増やせる可能性もある。その為に政治が出来る事も何かある筈だ」という考えに至れるかもしれません。しかし現状を見る限り、残念ですが、そうなってくれる可能性は極めて低いでしょう。
ここで余談ながら、ひとつ問題を出しましょう。ディスコなどではしばしば、女性の方が安い料金になっています。これは必ずしも「男性の方が多く飲食するから」ではありません。飲食代を別にしても、女性の方が割安になっている例があるからです。では、これは「男性差別」に当たるのでしょうか。私の意見は書きませんが、宜しければちょっと考えてみてください。

次に「何故差別はいけないのか」について書きます。これも難しいのを承知でなるべく簡便に言い切るとすれば「誰でも(勿論、貴方自身も)差別の対象になる可能性があるから」だと言えます。
よもや貴方は「自分は男性だし○国人でもないし○○教の信者でもないから、差別される事なんて無い筈だ」などと思ってないでしょうね。それは、とんでもない間違いですよ。
上で述べた様に「本人の努力では容易に変え難い趣味・嗜好」は差別の対象になりうるのです。貴方には「本当に好きなもの」はありますか?「かけがえのない、心から大切にしているもの」はありますか?もしあるのなら、それこそが差別の対象になる可能性があるのです。
大袈裟ではありません。過去の歴史や現在の世界情勢を見てください。社会状況が少し変わっただけで、アスリートや芸術家は容易に迫害の対象になりますし、インテリが差別対象になった例すらありますので。
もし大切にしているものが何も無いのなら、おめでとう、少なくともその部分で貴方が差別される事は無いでしょう(皮肉ですよ、勿論)。
ですから、差別に「良い差別」「悪い差別」の違いなどありません。差別はおしなべて「悪い」のです。くれぐれも差別と「好き嫌い」の混同には注意してください。貴方が何を好きになるのも自由だし、何を嫌うのも自由です。でもそれは、差別とは厳密に切り離して考えなければなりません。

野次の話に戻ると、もう一つ指摘しておきたい点があります。百歩、いや一万歩譲って、たとえあの野次が差別に当たらなかったとしても、やはり問題があります。
塩村氏は、都議会議員として、議会という場で検討すべき(と自分では認識している)問題について発言していた訳です。その際に(たとえ差別ではなかったとしても)揶揄する様な形で野次を飛ばす人は「少なくとも自分は議員としてこの問題に向き合うつもりはない。即ち、結婚しないのも子供を産まないのも、あくまで個々人の問題であり、議会が真面目くさって取り上げる様なものではない」という明確な意思表示である、と看做せる訳です。
つまり、野次を飛ばした人は、問題認識と問題への対処の両方で、自らの議員としての能力が足りない事を露呈してしまっているのです。自ら議員としての能力不足を大声で広めておきながら、それに気付いていない様に見える点が大きな問題だと考えます。


3.野次の背景

次に、あの様な野次が横行していた背景について考えてみます。
確かに、日本でも50年くらい前であれば(あるいは、もっと最近でも)「あの程度」の女性蔑視は全く問題にならなかったでしょう。それは、社会が許容していたからです。しかし今は、もはやそういう時代ではありません。そうした時代の変化に対応出来ないのであれば、それは「時代錯誤」と呼ばれるだけです。
まぁ、議会というのは法律・条例を作る場です。なので「法的安定性」を重視する立場からすると、どうしても多少は保守的にならざるを得ません。しかし、だからと言って時代錯誤でも良いという事にはなりません。何故なら、社会の変化に伴って新しく生じてきた問題への対処もまた、政治には求められ続けるからです。今回の晩婚化・少子化問題はまさしくそういった問題(の1つ)です。だからこそ、議会という場が社会の変化に対応しきれず「時代錯誤の女性蔑視」をし続けている点は、大問題なのです。実際、複数の自民党都議がここまで大きな問題になるとは」と言っています。セクハラ・差別が「一発アウト」の案件であるという認識が無いとは、世間知らずにも程があるでしょう。こういう意識の人達が実質的に都政を動かしている訳ですから、図らずも少子化問題がなかなか改善されない大きな要因の一つが炙り出されたと感じています。

それから「本人の資質」を問題にする声が意外に多くて驚きました。バラエティ番組「恋のから騒ぎ」に出演していた時の発言内容がどうだとか、不倫報道がどうだとか、果てはTwitterの過去発言まで取沙汰される始末です。
ここには2つの論点があります。即ち「塩村議員は悪女なのか」と「悪女なら野次っても構わないのか」の2つです。まず前者については、正直言って解りません。確かに悪女なのかもしれない、その様にも感じます。話題になっているTwitterの過去発言を見ると「ロクでもない」と感じる部分も多々あります。また「『恋から』での発言は全部ウソ」という本人の弁明もカッコ悪いとも思います。ただ、少なくともバラエティ番組での発言は議会での発言とは違って、全て真に受けるものでもないでしょう。
更に重要なのが2つめの論点です。今更改めて言うまでもない程ですが、相手が誰であっても言ってはならない言葉は、あります。例えば、殺人犯に向かって「人殺し!」と言うのはアリでしょう。でも、仮に殺人犯の頭髪が少なかったからといって「ハゲは死刑!」などと言ってはいけません。それではハゲ差別になってしまいます。またたとえ、犯人の毛がフサフサだからといって(的外れだからといって)「ハゲは死刑!」が差別でなくなる訳でもありません。これは相手が極悪人かどうかとは完全に無関係です。
つまり、たとえ塩村議員の過去の言動が問題であったとしても、彼女に向けられた差別発言は正当化されないという事です。そういった理屈が理解出来ないから、塩村氏の過去をあげつらうのが有効な反論であるかの様に誤解してしまうのでしょう。もう少し一般化して述べるならば「主張が正しいかどうかと、本人の属性とは無関係」なのです。議会という、議論において最も洗練されていなければならない筈の場に於いて、その原則がかくも軽視された野次が飛んだ事は、残念でなりません。

余談ながら念の為に言っておきますと、私は「恋から」の如きくだらないバラエティは大っ嫌いだし、そういう番組に喜んで出演する人も(男女問わず)大嫌いです。しかし、ここまで述べてきた様に、それとこれとはまっっっったく別の話です。そこの論点を切り分けられない人とでは、話をするだけ時間の無駄だと考えています。
また、これも余談ですが、ネットなどでも「相手の属性攻撃をする事によって、何か有効な反論をしたつもりになっている人」が時々いらっしゃいます(例えば、すぐに「匿名の卑怯者」などと言いたがる自称医(ryの人とかですね)。しかし属性攻撃をする人は、議論では勝てないから属性攻撃に「逃げている」場合が多いと感じます。議論のついでに属性について言及するのならまだしも、属性攻撃を反論の中心に据えている時点で「議論の出来ない人」だと、私は判断します。
但し、更に念の為に言っておくと、いわゆる「オマエが言うな」は属性攻撃とは異なります。この様な批判が正しく使われる場合とは「本人の行動と主張とが一致していない場合」または「本人の複数の主張に矛盾が含まれている場合」などです。ですからこれは属性攻撃ではありません。


4.野次そのものの是非について

今回の件を受けて「議会では野次自体を全面的に禁止すべきだ」という意見がみられます。確かに心情的には理解出来る意見です。でも、私自身は全面禁止には反対です。結論から言いますと、私は「野次そのもの」は否定しませんが、正当な野次と罵倒・揚げ足取りとは区別すべきだとも考えます。

もう少し詳しく説明しましょう。
そもそも、野次とは何なのでしょうか。
野次とは、議論に直接参加できない人が意見を表明できる、数少ない手段の1つです。全ての出席者に「十分な」発言機会が与えられているのであれば、野次を全面的に禁止しても良いでしょう。しかしそれは現実的には不可能です。実際、議会の場でも、全く発言機会の無い議員の方が多数でしょう。その意味で、野次とは一種の「必要悪」だと考えています。

但し、上記の考えに従うならば、必然的に「野次も議論の一部である」という結論になります。ですから私の考える「正当な野次」とは「議論の一部を成し得る様な意見の表明」であって、罵倒や属性攻撃は「不当な野次」と断定すべきです。
しかしながら残念な事に、議会の現状を見聞する限りでは全くそうなっておらず「正当な野次」は殆ど影を潜める一方で「不当な野次」ばかりが大いに幅を利かせている状況です。これでは「全面禁止」という主張が出てくるのも、心情的には大いに理解出来ます。ですが、上記の理由により私はやはり野次禁止には反対です。

どうか、議員諸氏におかれましては、議論がもっと洗練されたものになり、かつ、実のあるものになる様に、もっともっと野次の腕を磨いて頂きたいと思います。これは皮肉ではなく、本当に心よりそう思います。「野次らなければOK」というのでは「臭い物に蓋」と何ら変わりませんので。


5.今後の対応について

最後に今後の対応についてです。上にも述べた通り、既に発言者(の一部)は特定された様です。しかし、それが蜥蜴の尻尾切りで済まされてしまっては、本質的な解決には繋がらないでしょう。それこそ、野次った議員の「個人の資質」という問題に矮小化されてしまうからです。野次った本人は勿論悪いのですが、本人だけが悪いのではありません。こうした野次が許容され続けてきた(だけでなく、むしろ奨励されてきた様にすら見える)議会の(そして社会の)風土・意識こそが問題の本質であると理解すべきでしょう。
その意味では、鈴木議員への糾弾を過度に行うべきではありません。それは問題の本質を見え難くしてしまうからです。一方で、自民党の石破氏が言う様に「自ら名乗り出るべき」というやり方は卑怯です。何故なら、その言い分が通ってしまえば「名乗り出ないのは本人が悪い」という事になってしまうからです。しつこい様ですが、野次は個々の議員が好き勝手に行っていた事ではなくて(与野党問わず)党として「若手~中堅議員は野次るのも仕事のうち」という不文律を作ってきた責任がある筈です。その点に踏み込まないうちは、責任を取ったとは私は認めません。


6.その他

上記3.で「塩村議員が悪女かどうかと主張の正しさとは無関係」と書きましたが、これは逆の場合にも同じ事が言えます。つまり「塩村議員がセクハラ・性差別の被害者かどうかと、主張の正しさとは無関係」な訳です。従って、アホな主張をすれば遠慮なく私は批判しますし、批判されるべきです。

具体例を挙げるならば(議員になる前の言動は取り敢えずおいておくとしても)塩村議員の「私は被爆2世なので妊娠・出産に不安がある」「私も甲状腺の病気を持っている」という発言は問題です。被爆2世であっても、妊娠・出産のリスクに差はありません。これは現在の福島県でも妊娠・出産のリスクは他の都道府県と変わらないのと同じ理屈です(具体的には、当ブログの過去記事『放射線、デマ、そして分断』を御覧ください)。増してや、被曝2世である事と、甲状腺の病気とでは(たとえ具体的な病名が不明であったとしても)無関係です。
これらの件に関して、個人として不安を感じるのは勿論自由ですが、少子化問題を訴える政治家として世間的に大きな注目を浴びているタイミングでこれを言うのは問題です。公人として発言しているのであれば、もっともっと勉強して頂かないと困ります(これは塩村議員だけではありませんよ、当然ながら)。

また、今回特に印象的だったのは、普段もっともらしい事を言っている人が、何人も盛大に馬脚を露わしてしまった点です(具体的なお名前は挙げませんが、本記事のタイトルなどから一部はお察し頂けるかと思います(^^))。そして、それらの中には、少数ながら普段私が御発言を参考にした事のある人も複数含まれています。
つまり、今回ダメダメだった人達は、大きく分けると「(一応専門とされている分野も含め)全方位的にデタラメな人」と「専門外に口を出した途端にグダグダになってしまう人」の2つがある様に思います。
この失望感は何処かで見覚えがあると思ったら「震災と反原発」の文脈でも似た様な感じを覚えたのでした。即ち、反原発の意見の中には「自らの政治的主張の為に福島の被災者を踏み付けにする」様な言い分があったし、今でもそういう意見は残っているのですが、その例に倣って言えば「自らが裡に持つ差別性を突きつけられない為に、被害者をセカンドレイプする」様な言い分だと考えます。

私などは普段から(身の程知らずにも)様々な分野に嘴を突っ込んでいますから、いささか身につまされます。改めて、いい加減な事は(なるべく)言わない様に気を付けなければなぁ、と思った次第です(でもネタなら別ですけどね)。


7.謝辞

今回も多くの方の御意見を参考にさせて頂きました。ネットブロガーの皆さん、Twitterのフォロー・フォロワーの皆さんに感謝致します。個別には御礼を申し上げませんが、特に参考にさせて頂いた記事を以下にリンクします。
都議会におけるセクハラ発言について » 科学と生活のイーハトーヴ
女性都議への「早く結婚しろよ」「子供もいないのに」「産めないのか」ヤジは差別発言
山本一郎氏の都議会セクハラ野次解説とは何なのか


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