コミケを風疹から守り隊

2012年7月8日日曜日

片瀬久美子さんの事

初回公開日:2012年07月08日
最終更新日:2017年07月30日




1.はじめに(この記事を書いた動機)


片瀬久美子さんを御存知の方も多いと思います。もしも御存知でない方にとっては、この記事はあまり意味が無いかもしれないので、その点は予めお詫びします(但し、後半の5.以降の項目についてなら、ある程度は独立してお読み頂けるかもしれません)。
さて、私は、片瀬さんの事を、ニセ科学を批判していくうえで貴重な戦力だと思っており、また同時に、大切な友人だと認識しています。した。
その事を表明する為に、この記事を書きました。
(2017年7月28日追記:昨日付で、私は片瀬氏の事を友人だと思うのを止めました。理由は、取り敢えずこの辺りでも見てください。また後日、より詳細な経緯に関してまとめたものを、本記事の末尾に追記したいと思っています。)
(2017年7月30日追記:本記事の末尾に追記する予定だったのですが、例によってどんどん長くなってしまったので、別記事として独立させました。こちらをご覧ください。)


また、私自身に関して、これも御存知の方も多いとは思いますが、私は筆が遅いです(爆)。今頃になってこんな記事を書いたのも、主に私の筆の遅さ(と、後は、なかなか気が進まなかった事)によるものです。
ですから、この記事により改めて誰かを糾弾しようとか、何かを蒸し返そうとする様な意図はありません(但し「批判」は別です)。また、この記事は私の個人的な見解を書き綴ったものであり、当然ながら文責は全て私個人にあります。
その点を最初にお断りしておきます。

2.2012年6月19日の出来事


この経緯に関しては、 大' さんの作成されたこちらのTogetterまとめをお読み頂ければと思います( 大' さん、まとめて頂いて有難うございます。このまとめがあってくれたおかげで、物凄く助かりました
但し、そのまとめで中心的な論点になっている「批判する時は名指ししよう」という意見に関しては、とりあえず、おいておきます。ここではあくまで「誰が何を言ったのか」を確認する為に、上記Togetterを見て頂きたいと思います。


これ以降は、当該Togetterを(コメント欄は別にして、少なくとも本文は全て)お読み頂いている事を前提にして書きます。


3.「校正」とは何か


普段はあんまりやらないのですが、Wikipediaにリンクします。詳しくはそちらをお読みください
簡単に書きますと、校正とは「ゲラ刷りが原稿の通りに出来ているかを確認する作業」です。それが原則です。但し、時には著者の書き間違いを修正したりする事もあります。
しかし、文脈や文意が変わる様な修正はあり得ません。何故なら、それは校正よりも前の段階で行っておくべき事だからです。
手前味噌で恐縮ですが、私も単著こそありませんが、専門書には何度か文章を載せた事があります。その際に「著者校正」も経験しておりますが、いずれの場合も上記内容と同じ(私の原稿の通りにゲラが出来ているかどうかを確認するもの)でした。


但し「校正」という名目で原稿の内容を書き換える事が絶対に無いとは言えません。時間が無かったり、効率を最優先にしたり、編集作業に不慣れな著者をサポートする為に編集部が主導権を取って作業したりする中で、そういう事もあるのかもしれません。
しかし、決してそれは一般的ではない。そういう事が普通にあると思われるのは、まずいです。


医療に喩えるなら「検査という名目で治療を行う」という様なものでしょうか。そういう事が絶対に無いとは言えませんし、結果的にそうなってしまう場合もあり得ます。しかしやはりそれは例外的なのであって、それが当たり前だと思われてしまっては困るのです。

何故ここまで「校正」にこだわるのかと言うと、片瀬さんが編集作業について良く理解していなかった事、とりわけ「校正」について誤解していた点が極めて重要なポイントであると考えているからです。

黒猫亭さんは、校正をお仕事にしていらっしゃいます。つまり「校正のプロ」です。プロの立場からすれば「校正で文脈が変わってしまい科学的に間違いになってしまった。これはもってのほかなので、真っ赤っかにして返しました」という発言を見たら「聞き捨てならない」と感じるのも無理は無いでしょう。
だって、それは「校正ではない」のですから。
その点においては、黒猫亭さんのお怒りは理解できますし、正当なものだと考えます。自分の職業に誇りを持っているのなら、当然だとも思います。
但し、何故に黒猫亭さんは「シノドス」の「もうダマ」の話だとお考えになったのかは、私には読解できませんでした。黒猫亭さんは御自分で「シノドスの件だとすれば片瀬さんから聞いた話と違う」と仰っているのだから、理屈で考えるのなら「ではシノドスの件ではないのだな」と推測するのが、むしろ妥当なのではないか、と考えるからです。


4.片瀬さんは、校正に関する認識を改めたの?


さて、前項でも述べた様に、片瀬さんは少なくとも、6月19日午前2時の時点では「校正とは何か」について正しく認識していなかったと読めます。菊池誠さんは何度も「それは校正ではない」と仰っていますが、どうも納得していないご様子です。そして@issiedaさんの発言があって初めて「そうなのかも知れませんね」と仰っています(元発言はこちら)。


ところで、6月19日午前の黒猫亭さんとのやり取りの「後」で、片瀬さんは「私が、編集過程のシステムの理解が足りなかったことは、良くなかった」と書かれています(元発言はこちらで、Togetterのまとめにも含まれています)。つまり、この時点では、校正に関して誤解していた事を認めていると読めます。
一方で(まとめには含まれていませんが)6月25日のこちらのTweetを見ますと私が勘違いをしていた点については、批判を受けた前夜のうちに、その業界の方からこういうケースなのではないかという親切なご指摘を頂き、そういうことなのでしょうねと認めています。私の勘違いについては、既に訂正してありました」とあります。これはおそらく、前段落に掲げたこの発言の事を指していると思われます。何故なら、それ以外に該当しそうな発言が無いからです。この事は片瀬さんのTwilogで確認しました。


細かい事かもしれませんが「そうなのかも知れませんね」と「そういうことなのでしょうね」とでは、いささかニュアンスが異なります。前者だと完全には同意せず自分が正しい可能性も残している感じですが、後者だとかなり相手の言う事に納得している印象を与えます。
こうした発言の引用は、正確にすべきです。特に主張の根拠を形成するのであれば、尚更です。
更に申し上げれば、当該発言はissiedaさんへの@メンション(@付き返信)です。つまり、Twitterのシステム上、片瀬さんとissiedaさんの両方をフォローしていない限り、普通のTL上には現れてこない発言です。従って、当該発言が見えない為に、そもそもその様な発言があった事すら知らなかった人も、ある程度は存在すると考えられます。


以上の点を考え合わせると「私の勘違いについては、既に訂正してありました」と主張されても、ちょっと私には納得できませんでした。御自分の認識が改まったのであれば、もっと早い段階で、より明確にそれを表明していれば、全く違う展開になっていた可能性は高いと思います。


これは「誰の事だか言う言わない」の問題とは、全く別の論点です。誰の事なのかを明確にすべきかどうかは、今回の件に限っては、むしろ二次的な問題であると認識しています。


5.片瀬さんは、謝罪すべきなの?


結論から言うと「解りません」。
何故なら、謝罪というのは難しいものだからです。謝罪をする時には必ず「何に対する謝罪なのか」を明確にする必要があります。これを怠ると、何に対して謝っているのか解り難くなり、事実関係がウヤムヤになり易いからです。
また、通常の謝罪は、相手の感情に対して行われます。これは場合によっては必要だし重要なものではありますが、謝罪だけで終わりにしてしまうと、やはり事実関係が曖昧なままになったりします。


このあたりの論点をちょっと上手に言語化出来ずにいたのですが、最近起こった、大津市のいじめ自殺に関する皆さんの御意見を拝見していて、少し整理できた部分もありますので、以下にそれを記します。
簡単に述べると「謝罪しろ」という要求は「謝罪しないと許さない」とほぼ同義です。そして「謝罪しないと許さない」は「謝罪すれば許す」に近い意味を持っています。ここで、私自身は「謝罪すれば許す」という考え方が嫌いです。ですから「謝罪しろ」とは簡単に言いたくないのです。
但し、お気付きの様に「謝罪しないと許さない」と「謝罪すれば許す」は論理的に同値ではありません(裏の関係)。同値ではないのですが、我々はそれらを同じに看做したがる傾向がある様です。
ちょっと論点はズレますが、その事も意識しておいた方が良いと考えます。何故なら、我々の心には、物事をなるべく単純化して理解しようとする傾向があるからです。これは情報を効率的に処理する為には必要な機能でもありますが、それがしばしば思考の落とし穴になってしまう点にも注意すべきだからです。


という訳で話を戻すと、確かに謝罪も大切ですが、より重要な事は、事実関係をきちんと認識する事です。
そして、この場合の「事実関係の認識」とは、校正に関して誤解していた点を明確にする事です。


どうして私がここまで言うのかといいますと、片瀬さんは普段から、御自分の発言が一部だけ切り取られたり意図しない形で拡散したりする事に対して非常に厳格に考えておられるからです。
そこまで自発言を意図通りに読み取って欲しいと願っているのであれば、御自分の誤解に基づく発言(つまり、自発言により誤った情報が拡散する可能性がある事)に関しても厳密に対応すべきであり、ここまで述べてきた様な態度で済ませるのには、どうにも釈然としないものを感じてしまうからです。

6.どうしてPseuDoctorは友達面をして片瀬さんを批判するの?


さて、そろそろ、サブタイトルの様な疑問が出てくる頃だと思います。
どうして「大切な友人」だとか言いながら批判ばっかりしてるのかって?
しかもわざわざ、こんなブログ記事まで作って。


そんなの、決まってるじゃないですか。


私は、相手が誰であれ「批判すべきは批判する」という立場を取っているからです。


勿論、批判する際には常に「優先順位問題」がありますから、何でもかんでも必ず批判する訳ではありません。特に、友人だと思えば、普通は矛先も鈍ろうというものです。
それでも、今回は敢えて批判しています。


だって、私は嫌なのです。
忙しさに紛れて「まあいいか、相手も大人なのだし、一々うるさく言わなくても」で何となく済ませているうちに時が流れ、気が付いた時には取り返しのつかない事態になってしまったりするのは。仮の話だとしても、そうなってから後悔するのは、本当に嫌なのですよ。
重大さ・深刻さのレベルは全然違いますが、他ならぬ片瀬さんなればこそ、きっと私のこの気持ちを解って下さる筈だと願います。


ですから、繰り返しになりますが、私は、相手が誰であっても、批判すべきは批判します。いやむしろ、自分にとって大切な人であればあるほど、敢えて、腰を据えてきっちりと批判させて頂くつもりでやっています。


楽しくなんかありません。
叩くのが楽しい?」そんな事ありません。
綺麗事を言うと思われるかもしれませんが、私は基本的に他人を叩くのは嫌いです。
そもそも、争い事が嫌なのです。
嫌だからこそ、ニセ科学批判などの際には、なるべく先回りして反論を潰しておいたりするのです。
増してや、友達を批判するなんて、嫌で仕方ないですよ。
もう、知らん顔をして放っとこうかと、何度も思いました。
でも、上に書いた様に、批判しなくて後悔するのは、もっともっと嫌なのです。


もう一つだけ、とても大切な事を書きます。


片瀬さんは、他者の属性について、不用意に言及し過ぎです。
属性とは、例えば「性別・年齢・職業・経験etc」です。
これは、相手が特定個人であるか、不特定多数であるか、一般論であるかに関わりません。
そして、今回の件に限った話でもありません。
日常会話だろうが、愚痴だろうが、いかなる形であれ、他者の「属性」に対して言及する時は、もっともっと慎重であるべきだ、と私は考えます。
他者の属性に関して不用意に言及するという事が(しつこいですが、対象を特定するか否かに関わらず)、何を意味しているのか、その点に関しては、どうかゆっくりしっかりお考え頂きたいと願います。
何故なら、私の見る限り、その点こそが片瀬さんの最大のウィークポイントであると考えるからです。


この言葉が、片瀬さんに届くかどうかは、はっきり言って、私にも解りません。
もし届かなければ、それは、とても悲しく残念な事です。
でも、もし、本当にそうなったら。


それはもう、仕方のない事なのかもしれませんね。
その時には、ただ「いつの日か解ってくれる時がくるかも」と祈るだけです。
理を尽くし、情を尽くしても、意が伝わらない事なんて、世の中には珍しくもないのでしょう。
別に、これが最初でも無ければ最後でも無いですよね、きっと。
C'est la vie.

7.批判する時は名指しすべきなの?


既に述べた通り、私はこの点については(こじれた大きな要因であるとは思っていますが)二次的な問題だと思っています。しかし、それでもやはり、この点についても少し述べておきましょう。


結論から言いますと「批判する時はなるべく名指ししよう」という風に「心構え」を述べたものであれば、特に異論はありません。しかし、もし(仮にですよ)「批判する時は必ず名指しすべき」という主張にまで発展するのだとすれば、ちょっとそこまでは同意出来ません。
そう考える理由は、2つあります。


1つ目は「どこまでが批判なのか」という問題があるからです。
明確な批判がある一方で、世の中には一般論・嫌味・皮肉・愚痴なども存在します。これらの場合は、必ずしも対象を特定すべきとは限りません。そして、これらは(様々な場面で私が申します様に)きちんと分離できるものではなく、グラデーションで繋がっていると考えています。
従って「全て名指ししろ」とまでは考えません。


2つ目の理由は「批判か批判でないかを誰が判定するのか」という問題です。単純に考えても、批判する側、批判された(かもしれないと思ってしまう人も含めた)側、中立の第三者、などが考えられます。そして、これらの人々の間で、見解が分かれる事は、決して珍しく無いでしょう。
従ってやはり、一概に言うのは難しいと思います。
但しこれは、裏返して言えば「自分が批判のつもりがなくて行った発言であっても、他者からは批判と受け取られる可能性は常にある」という事でもあります。


さて、実は「批判は個別具体的になされるべき」というのは、ニセ科学批判(ニセ科学への対策)を継続して行ってきた人達の間では、既に経験則として共有されている内容でもある、という風に理解しています。その意味でも「心構えとしては異論が無い」と述べました。
しかし一方で(ちょっとメタ的な物言いになってしまって恐縮ですが)この経験則自体を適用するのもまた、個別具体的になされるべきであり、過度な一般化は好ましくないと考えます。それが、上で述べた内容と繋がっている訳です。

8.謝辞+α

今回の記事も、多くの方々のおかげで書く事が出来ました。
片瀬さん御本人を始め、本文中で言及させて頂いた方々、言及はしませんでしたがこの件について何がしかの意見を表明してくださった方々、私が真剣に考えるきっかけを作ってくださった全ての方々に対して、皮肉ではなく心から、感謝申し上げます。

最後に。
私はこの記事で「片瀬さんは大切な友人である」と何度も書きました。
しかし、勿論。
片瀬さん以外にも、私が大切に思っている方々は何人もいらっしゃいます。(もしかしたら自分もその中の一人かも、と思われたアナタ、きっとアナタの思った通りですよ(^^))。
ただ、ここで留意して頂きたいのは、好き嫌いと、賛成・反対と、ウマが合う合わないとは、全て別々の要素だという事です。
これは、人付き合いをする時に、私が心掛けようとしている(けれど、なかなか上手くいかない)事でもあります。
繰り返します。
人付き合いをする時に、
1)相手の事を好きか
2)相手の意見に賛成するか
3)相手とウマが合った付き合いが出来るか
は、全て別々の要素です。これらの3要素を1つも満たさない、どれか1つだけ満たす、どれか1つだけ満たさない、全て満たす、あらゆる組み合わせ(と言っても2^3=8通りですが)が有り得ます。

わざわざこんな事を言う理由は、2つあります。
1つ目は、いわゆる「属人的議論」に陥らない様にする為です。「好きな人の意見だから正しい」も「嫌いな人の意見だから間違い」も、どちらも危うい考え方です。
2つ目の理由は、これらを混同してしまうと、自分自身が苦しくなるからです。
言ってる事は正しいと思うけど、でもアイツの事は嫌い
あの人の事とっても好きだけど、でもどうしてもウマが合わないの
そういう気持ちは、別に矛盾ではないし、おかしくもないし、間違ってもいないのです。
全部、普通にある事だと、自分の心を認めてあげれば、もっと楽になれるかもしれません。

9.2017年7月27日の出来事について

(2017年7月30日追記:こちらに作成予定だった内容は、非常に長くなってしまった為、別記事として独立させました。こちらをご覧ください。)

トップページに戻る

5 件のコメント:

  1. ぼくは片瀬さんとは自分のところにいらっしゃった際にちょっとお話ししただけなので、まぁ友人、とは云えません。このエントリで扱われている対話にコミットしなかったのは、「友人と云うほどではない」ことが、なによりの理由です(相手方となった方とはまず「ネットの友人」と云うべき間柄だと思うので、なおさら)。ぼくは片瀬さんには自分のところのコメント欄で云うべきことは云ったと思っていますので、繰り返し伝えるほどの仲でもない、と云った感じでしょうか。

    > 「好きな人の意見だから正しい」も「嫌いな人の意見だから間違い」も、どちらも危うい

    これはほんとうに思います。ぼくの場合は痛感する機会も何度かありました(本来傾聴すべき見識を持っているはずの人の意見が、こう云う感覚のせいであえなくゆがんでいく姿は、見ていてなんとも云いがたいものです)。
    近い立ち位置で発言しているひとにこそ正しい意見を云ってほしいし、自分の間違った意見にはつっこんでほしいものですよね。

    返信削除
    返信
    1. >Poohさん
      いらっしゃいませ。
      今回はシステム上の問題もなくコメントを頂けた様で、とりあえず、ほっとしております。

      >ぼくは片瀬さんには自分のところのコメント欄で云うべきことは云ったと思っています
      はい、そう思います。硬い表現で恐縮ですが、Poohさんは既に御自分のリソースを十分に投入なさったと思います。ですから、同じ事を繰り返して仰る必要は無いと思います。Poohさんの言葉はずっとその場にあり続けます。
      一方で、片瀬さんには、そのPoohさんの言葉を繰り返し読んで頂きたいとは思います。何時でも見に行けますから。

      >本来傾聴すべき見識を持っているはずの人の意見が、こう云う感覚のせいであえなくゆがんでいく姿は、見ていてなんとも云いがたいものです
      そうですね。経験を重なるごとに、どうしてもそういう事例に出会う確率も増えていくのでしょう。それを完全に予防するのは無理なのだから、せめて厭世的にならないように、と思います。自分も、他の方も。
      そのうえで、自分自身も歪まない様にしたいものです。その為には、やはり

      >近い立ち位置で発言しているひとにこそ正しい意見を云ってほしいし、自分の間違った意見にはつっこんでほしいものですよね。
      これが有効ですね。
      離れた位置から異論が飛んできても、なかなか届き難いものがあるでしょう。なので、近い立場からツッコミを入れるのは有効ではありますが、当然ながら違う難しさもあります(端的に言えば「こじれ易い」という点など)。ですので私自身はなるべく、自分に対するツッコミには耳を傾けようと心掛けています。
      と言う訳で、Poohさんはじめ、ここをお読みの方はどなたでも、私が間違っていると思った時にはツッコんで欲しいです(勿論、自分が正しいと思う部分に関しては、しっかりと反論もしますが)。

      削除
  2. PseuDoctorさん、こんにちは。私は、「ディスクレイマー」と「アイスクライマー」の関係について調べている者です。

    PseuDoctorさんの記事を読んでいるうちに、私は「ブロガーとしての信用を簡単にアップさせる方法」を思いつきました。

    「ブロガーとしての信用を簡単にアップさせる方法」
    まずは、次のように嘆く。「最近のネット上は、なんと事実を誤認する論者の多いことか。」
    次に、自分が事実を誤認する。「あのPseuDoctorさんは、身内を批判するという、とんでもない行為に出た。ニセ科学批判界から訴えられても、全然不思議ではない。」
    そして、謝罪する。「いつも事実を重視している私が、あろうことか事実を誤認してしまいました。反省のため、しばらくネットの竹林に身を隠します。」

    これを繰り返すと、ブロガーとしての信用が簡単にアップします。PseuDoctorさんも、ぜひ実行してください。

    ・・・・・・・・
    ところで、PseuDoctorさんに質問があります。PseuDoctorさんのブログに、ネタのコメントを投稿しても許されるでしょうか?たとえば、以下のような感じのネタです。(長いです)

    今週の御言葉:『私の批判的思考はアナザーディメンション状態である』

    今週の、批判の仕方に関する嘆き:『名指しを避けて批判していると、傍観者から、「批判対象を明確にするべきだ。」と言われた』
    『ならばと思い、名指しで批判していると、別の傍観者から、「優しく遠回しに諭してあげるべきだ。」と言われた。結局、僕達の批判の仕方は全否定されるんだ』

    今週の、「働けど働けど」風の御言葉:『名指しで批判しても、名指しを避けて批判しても、傍観者からのdisは無くならず。じっと、画面を見つめる』

    今週の断言:『「私を批判する駄目な読者が現れたので、逐一反論してあげていましたが、もう終了とします。この話題については、二度と言及しません。」と述べた後も普通に言及を続けるブロガーなど、現実には居ない』

    今週の、「北斗の拳」風の技:『dis虚無指弾(ディスきょむしだん)』(解説:ある罵倒芸の論者が、開発を試みている技。完成の暁には、自分の主張の誤りを都合よく忘れるという効果を発揮する)

    ・・・・・・・・
    「罵倒芸的に正しいネタの御言葉」も投稿したいと考えています。たとえば、以下のような感じのネタです。

    『disエウレーカ!』解説:あのアルキメデスさんが、罵倒芸の純度を測る方法を思いついたときに述べた御言葉。

    『狩りをして。風呂に入って。ネットで優越感ゲームをして。一人勝利に笑いながら眠る。それが私の人生だ』解説:あのティムガッド遺跡の、道路の石に書かれていた御言葉。

    『罵倒芸の箱』解説:あのパンドラさんが、スパモン様から貰った贈り物の一つ。受け取る際、次のような忠告を受けている。「よいか、蓋を開けるなよ、絶対に開けるなよ、絶対に開けちゃ駄目だからね。」
    その後、パンドラさんは蓋を開けた。ありとあらゆる駄目なdisが、ネット上に飛び去って行った。パンドラさんは、蓋を閉めた。箱の中には、真のdisが残った。

    『知ってるよお、だからdisり合いは楽しいんじゃなあい』解説:あのアニメ、「ガンダムAGE」に登場するデシルさんの御言葉。あのフリットさんから、「プライドを賭けた論戦なんだ、万が一負けたときは、私怨を書き連ねる論者になってしまうんだぞ」と言われて答えたときの台詞。

    『ブログ主様!disを待っていました!』『disを待っていたとはありがてえ』解説:ある愛読者と、長期休養していた罵倒芸ブロガーの遣り取り。

    ・・・・・・・
    PseuDoctorさんが許してくださるならば、このような感じのネタを投稿したいと考えています。ご読了、ありがとうございました。

    返信削除
    返信
    1. >TAKAさん
      お久し振りです。

      >これを繰り返すと、ブロガーとしての信用が簡単にアップします。
      えーと、一回やる度に「しばらくネットの竹林に身を隠す」のですよね。これを繰り返すのは結構時間がかかりそうです。あるいは身を隠しているうちに皆さんに忘れ去られてしまうかもしれません(^^)

      >PseuDoctorさんのブログに、ネタのコメントを投稿しても許されるでしょうか?
      そうですね、他ならぬTAKAさんの事ですから「ネタ」と明示したうえで投稿して頂けるのであれば、歓迎致します。宜しくお願いします。

      削除
  3. なぁんか面白いところからアクセスが来てるなぁと思ったら、これですね。
    http://nebula.asks.jp/209371.html
    どういうつもりで彼がこのエントリを書いたのかは知りません(ガジェット通信への転載絡みの経緯は一応承知してます)し、リンクも勿論自由です。一方で、こちらから言及するのも自由な訳ですから、何点か指摘しておきます。

    >今回の件で一言「自分(片瀬久美子)の考えはこうで、メカAGはこの点を誤解している」と主張すれば済むこと<

    いやいやいやいや、絶対に「一言主張すれば済むこと」なんて嘘でしょう。賭けてもいいけど、絶対に「それじゃ済まない」ですよね。て言うか、それこそ貴方の思う壺じゃん。仮に「ここが誤解だ」なんて言おうもんなら、その意見に対して更に斜め上の再反論をするつもりでしょ?そうやって「相手を不毛な論争(もどき)に引きずり込む事こそ、貴方の狙いなんだ」と、私は確信してますよ。
    ちなみに、私もかつて、ほんの一瞬だけ彼と接触した事があります。ここで。
    http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-08-21
    その時にも、こういう「議論」のやり方を厭わない人なんだろうなぁ、と思ったものだけど、今回の事でその印象は更に強化されました。

    もういっこ。こっちからもリンク張ってくださってる。
    http://nebula3.asks.jp/153590.html

    >戸締りが悪い家がたびたび泥棒に入られて、その都度「自分はこんなに被害にあった」と大騒ぎするのは、むしろその人の存在の方が近所迷惑なんじゃないの?<

    「の方が」はおかしいでしょう。どっちが「より悪いか」って言ったら、そりゃぁやっぱり、泥棒の方です。要するにこれは「泥棒の立場に立った自己正当化の論理」ですね。御自分の立ち位置を反映してらっしゃるのかしら?

    >  PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味: 片瀬久美子さんの事<
    >  http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html<
    >とかでもトラブル起こしてるし。<

    「他所でもトラブル起こした」なんて言い出すのは、超巨大ブーメランに見えて仕方ありません。
    それと、この書き方じゃまるで、私のブログ「で」片瀬さんがトラブルを起こしたみたいではないですか。リンク先までちゃんと読めば解る?いやぁ、彼もネット活動は長い様ですから「ちゃんと読まない人」がそこそこ居る事は解っている筈です。

    まぁ色々書きましたが、一つだけ尊敬申し上げている点があります。それは、ずっと固定ハンドルで活動されている事です。お陰様で「ああ、あの人かぁ」と「解る人には解る」状態になっておりますので。

    参考
    http://togetter.com/li/513033
    http://togetter.com/li/513023

    返信削除

コメントは承認制です。投稿してもすぐには反映されません(平均して何日か、時には何週間もお待ち頂く場合もありますので、どうか御容赦ください)。
コメントを投稿される際は、ハンドルを設定してください。匿名投稿も可能ですが、これはブログの仕様です。
お名前の入力をお願い致します(勿論、本名である必要はありませんし、URLの入力も任意です)。